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オープニング映像。
今年6月に亡くなった長嶋茂雄。お別れの会には松井秀喜、王貞治らが参列した。生前顕著だったのは勝負強さ。天覧試合では同点で迎えた9回裏で長嶋に打順が回り、サヨナラHRを記録。ファンを喜ばせたいという思いも強く、三振しても全身全霊でスイングしヘルメットを豪快に飛ばしていた。特徴的な送球フォームは歌舞伎の所作を参考にしたもの。天才的な選手として語られているが、実際は努力を怠らずその姿をファンに見せないようにしていた。現役引退後は監督として活躍。04年に脳梗塞となり、同じ病に苦しむ人を励まそうとリハビリの様子をあえて公開。
8月、81歳で亡くなった元サッカー選手の釜本邦茂。最大の武器は強烈なシュート。日本代表では男子歴代最多の75得点を記録。相手ディフェンスを置き去りにするテクニックにも長けていた。転機となったのは17歳。西ドイツのデットマール・クラマー元選手から指導を受け、当時最年少で日本代表に選出。64年東京五輪で日本は準々決勝敗退、釜本は大会通じてわずか1得点。次の五輪に向けドイツへ留学しシュート技術を磨いた。結果、68年五輪では銅メダル獲得。釜本は大会通算7ゴールで得点王に。これを受け日本にサッカーブームが到来。釜本は子供たちの指導に尽力した。
6月、82歳で亡くなった女優の藤村志保。知性的で凛とした姿で人気を集めた。役への探究心も人一倍で、鍼灸師を演じる際には自ら器具をそろえて練習していた。絵本の読み聞かせ活動も。
9月、82歳で亡くなった歌手の橋幸夫。17歳でデビュー曲「潮来笠」が大ヒット。呉服店を営む自宅にはファンが殺到した。当時大人気だった吉永小百合とのデュエットもリリースし、その年のレコード大賞を受賞。2人とも多忙で、2人そろって歌ったのはこの授賞式が初めて。
9月、90歳で亡くなった俳優でエッセイストの吉行和子。30代で「おかあさんといっしょ」の話し手役にチャレンジしたことも。
7月、85歳で亡くなった歌手で俳優の上條恒彦。大ヒットした「出発の歌」は合唱曲として歌い継がれている。
11月、92歳で亡くなった俳優の仲代達矢。かつては舞台の大型新人として注目され、映画のでも数々の名作に出演。大河ドラマ「新・平家物語」では主人公の平清盛を演じ、撮影期間中は誰よりも早くスタジオ入りしていた。8歳で父を結核で亡くし、病を抱える母を助けるため働きながら定時制高校に通った。「学歴なしでもどうにか」とボクサーか俳優を目指し、19歳で養成所に入る。内気で人見知りな性格だったが、通行人役で出演した映画「七人の侍」で黒澤明監督から厳しい指導を受けたのが転機に。以降、黒澤作品に数々出演。主演した「影武者」はカンヌ映画祭で最高性を受賞。
11月、92歳で亡くなった俳優の仲代達矢。昭和50年、若い俳優と切磋琢磨できる場所を作ろうと自身らで無名塾を立ち上げる。自宅の一角を稽古場とし弟子たちを指導。礼儀作法を重んじた。役所広司などが多くの個性派俳優がここ出身。石川県七尾市の能登演劇堂とはかつて無名塾が合宿をした縁で交流があり、毎年公演を行っている。「演じることは生きること」と、90歳になった今年も能登で20公演をやりとげた。
NHKアーカイブスに残っていた長嶋茂雄の映像を紹介。1986年、当時50歳で「サンデースポーツ」にリポーターとして出演。この日は日米野球を突撃取材。「日本が大リーグに追いつくにはどのくらい時間がかかる?」と問われ、「21世紀には追いつくでしょうね」と話していた。プロ入り前は大学野球でスターとして活躍。ライバルの野村克也とは一緒に海外旅行に行く仲。
3月、76歳で亡くなった歌手で俳優のいしだあゆみ。「ブルー・ライト・ヨコハマ」で大ヒット、紅白歌合戦に10回出場。俳優としても数多くの話題作に出演。演技にのめり込んだのは20代後半。様々な役柄になりきる面白さに目覚めた。向田邦子脚本作品「阿修羅のごとく」では物語のキーパーソンを演じた。86年の映画「火宅の人」では演技賞を数々受賞。
8月、82歳で亡くなった洋画家の絹谷幸二。長野オリンピックの公式ポスターを手掛けたほか、鮮やかな色彩で富士山や太陽などをエネルギッシュに描いた「日月万丈富獄」が代表作。
高度経済成長期に進んだ環境破壊。73年、宮城県で赤潮が発生。その再生に取り組んだのが、4月に81歳で亡くなったカキ養殖家の畠山重篤。カキが売り物にならず廃業も考えたが、カキ養殖の本場フランスを参考に植林活動に取り組んだ。これが成功し、この活動は各地に広がっていった。
3月、94歳で亡くなった映画監督の篠田正浩。14歳で敗戦を経験し価値観が一変したといい、戦争をテーマにした映画を多く手掛けた。集大成となったのは03年の映画「スパイ・ゾルゲ」。昭和初期に暗躍したスパイを主人公に、軍国主義に傾倒していく日本を描いた。映画のエンディング曲は反戦歌のジョン・レノン「イマジン」。
8月、102歳で亡くなった茶道裏千家15代家元の千玄室。茶の湯を通じた平和の実現に生涯を捧げた。原点にあるのは特攻隊員として出撃していく仲間を見送った自身の体験。千利休の流れをくむ家に生まれ、20歳で学徒出陣のため海軍に入隊。戦況が悪化する中で特攻隊員となっても、持ち歩いていた茶道具で仲間に振る舞っていた。転機となったのは、戦後に米国軍人たちがお茶を習いに来たこと。「文化の力なら日本を理解してもらえる」と考え、世界各国で活動した。昭和39年に家元を襲名。生涯で70か国を訪れた。
エンディング映像。
