- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
荒川と隅田川を隔てる岩淵水門。旧岩淵水門は老朽化のため現役を退いたが国の重要文化財として姿を残している。蛇行する隅田川が氾濫しないよう大雨で増水すると水門を閉鎖して水を遮断する。水門には東京の街の水害を防ぐ重要な役割がある。昔は水門の開閉には蒸気機関車を利用していた。水門をくぐるとここからは隅田川に突入。
新東京都民ゴルフ場は都内初の河川敷にできたゴルフ場。青木功は中学卒業後にキャディとしてこのゴルフ場に就職したという。隅田川の防潮堤は土地が低いこの地域の水害防止のため建造された。実益のための堤防から現在は景観も兼ね備えた堤防になっている。新田橋のA型の橋脚は全国的にも珍しい。昔の木造の橋脚をイメージしている。隅田川の支流・石神井川では製紙業が発展した。
あらかわ遊園は23区唯一の区営の遊園地。荒川周辺はレンガ産業が盛んだった。レンガ工場の経営者が映画館・演芸場など避暑地として開園。レンガの材料の荒木田土は粘り強く角がない土質から現在でも両国国技館の土俵に使われている。千住火力発電所が大正15年に建設した4本の煙突はお化け煙突と呼ばれ、見る角度で違った本数に見えるため名付けられた。昭和39年の解体後、実際の煙突でモニュメントが製作された。千住大橋は徳川家康が命じ1594年に隅田川に最初に架けられた。橋の材料は伊達政宗が寄進した高野槙。昭和2年に鉄橋になるまで300年以上木造橋だった。橋に使われた木は彫刻などにして保存されている。また今でも千住大橋の下には橋げたが残されている。千住大橋は松尾芭蕉の奥の細道の出発地点でもある。
隅田川の桜は江戸時代に川の氾濫を防ぐために徳川吉宗が植樹を命じた。花見客が歩くことで地面が踏み固められ自然の堤防となった。桜庭の桜並木は明治45年に日本からワシントンD.C.に寄贈し、ワシントンD.C.で育った子孫木を植樹したもの。吾妻橋は江戸時代、防衛上の理由で隅田川に5本しか架かっていなかった橋の一つ。この橋は浅草の大人気フォトスポット。アサヒビールのモニュメントは聖火台の炎と新世紀に向け飛躍するアサヒビールの燃える心を表現している。
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- すみだリバーウォークアサヒビールアサヒビール本社ビルグーグルサッポロビールスーパードライ国立国会図書館デジタルコレクション墨田区(東京)徳川吉宗札幌麦酒東京工場東京スカイツリー東京湾東京都立中央図書館東武線東武鉄道桜浅草駅浅草(東京)銀座ワシントン 銀座本店隅田川
浅草寺の御本尊の仏像は飛鳥時代、隅田川で発見されたもの。日本最古の花火大会でもある隅田川花火大会は毎年90万人以上が訪れ約2万発が打ち上げられる。死者供養・災厄除去の祈願としての川開きが起源。一説では花火屋が宣伝としてうちあげたのが始まりとされる。江戸時代、相撲の興行は寺社の境内で行われていて明治42年に相撲専用の建物として国技館が両国に誕生。昭和29年に蔵前国技館が誕生したが老朽化により昭和42年に蔵前から両国に移設された。両国橋が架けられた当初、両側は火除け地だったがやがて繁華街として発展した。
両国で江戸の歴史と文化を辿る。訪れたのは昭和8年創業「両国どぜう桔梗家」。都内に4軒しかない「どじょう」の暖簾を掲げるお店で鮮度が命のどじょうを朝締めして提供する名店。骨と内臓を取り除いた「骨抜き鍋」、どじょうを丸ごと使用した「丸鍋」などに舌鼓を打った。どじょうはカルシウムがうなぎの約10倍で鉄分・ビタミンも豊富。どじょうは江戸時代に庶民の食べ物として親しまれていた。
「ももんじや」は1718年創業のしし鍋の老舗。肉食禁止だった江戸時代、生類憐れみの令解除後も獣肉を食さない風潮が続きしし肉は「山くじら」という魚の名前で提供されていた。
昭和23年創業「長谷川商店」は全国トップクラスの品数を誇る花火問屋。3~5月上旬は鯉のぼりと五月人形、5月中旬~11月は花火を販売している。シーズン以外は倉庫で花火を販売しているとのことで倉庫を見せてもらった。今の時代は煙が少ない花火が人気とのこと。線香花火「筒井時正」は職人が1本ずつ縒りあげる希少な国産の線香花火。気になった花火を購入して特別に近所の神社で花火を満喫した。「蕾」は1本に使われる火薬は約0.08gで1/100gの増減で燃え方が左右する繊細な花火。線香花火を楽しむコツは先端より下を持つ・持つ部分を張る・角度は斜め45度。
1862年創業の佃煮専門店「鮒佐」へ。佃煮は雑魚の塩煮をヒントに醤油を使って改良し誕生。作り方は創業当時から変わらずかまどで薪を使って作っている。一行は「とりまぜ」を購入した。
両国ジャンクションの建設当初、隅田川には毎日1000隻以上の往来があり橋脚の数に制限が設けられていた。その解決策として上の橋脚が下の橋脚をケーブルで吊り下げる構造を採用。新大橋は歌川広重の「大はしあたけの夕立」で描かれた。それに影響を受けたゴッホは「雨の大橋」を描いたと言われている。清洲橋は世界一美しい橋をモデルに造られた。
清洲橋は世界一美しい橋とされたヒンデンブルク橋がモデル。国の重要文化財にも指定されている。小名木川は江戸時代に掘削された運河。江戸幕府が塩を城下まで運搬するために造ったという。小名木川が潮の満ち引きで最大水位差が2m近くになることもある。扇橋閘門の東側は地盤が低く洪水の危険性が大きいため川を水門で遮断し、1976年に水位を調節できる特殊な水門を建設。水位が低くなると船が通過できる東京版パナマ運河。深川は1680年から14年間、松尾芭蕉が活動の拠点とした地。
オープニング映像。
森林コンサルタントの都賢太郎さんの幸福時間は登山。よく登るのは釈迦岳。11年前、初めての登山で富士山に挑戦して以来、いくつもの山を登ってきた。
私の幸福時間の番組宣伝。
隅田川のほとりに佇む松尾芭蕉の銅像は夕方5時になると90度回転して清洲橋を向く。小名木川に架かる萬年橋は江戸時代、富士山が見える名所で歌川広重の浮世絵に登場している。江戸時代に火事が多く資材置き場になっていた深川は大きな焙煎機を置ける高い建物が多くコーヒー激戦区になっている。国の重要文化財に指定されている永代橋は赤穂浪士が討ち入り後に渡ったとされる橋。歌川広重は江戸名所、渓斎英泉は蘭字枠江戸名所で描いている。霊岸島検潮所・量水標跡は東京湾の平均海面を算出していた場所で日本のすべての標高の元となっている。
佃島は隅田川河口に位置しかつては小さな島だった。1931年創業「つきじ治作」は徳島県産阿波尾鶏を使用した水たきが楽しめる。元は1899年に建造された岩崎弥太郎の別邸。明治32年以前は東京海上所だった。
