2025年5月27日、豊田は母・住英に呼ばれ、鹿児島へ帰省していた。母・住英は豊田に年を越すことができず、インターハイまでも持たないかも知れないと医師から宣告されたのだと打ち明けた。長女・花凜は豊田が母の状況を受け止めきれず、何も考えられなかったのではないかなどと話した。6月1日、鳥取に戻る前日に豊田は兄・倫太朗から、母は自分たちが支えるためインターハイに向けて励むよう伝えられた。出発前、豊田は母・住英と互いに頑張ると約束を交わした。6月3日、豊田は必死に稽古に励んだ。6月6日、母・住英の容態が悪化し、豊田は入院先の鹿児島市医師会病院に向かっていた。病室に到着した豊田は母・住英の手を握り、何度も呼びかけ、最期を見届け、2025年6月6日、夜10時37分に母・住英は永眠した。豊田は優勝したときや辛いときも全て母・住英に支えてもらい自慢の母であり、そんな母のもとに生まれてよかったなどと告げた。豊田は親子悲願のインターハイ日本一へ向けて再び走り出した。
