火事が起きて半日がすぎた頃、永倉さんは自分の町を遠目にみることしか出来なかった。漁師に憧れ、12年前に兵庫から移住してきたが、元々は釣具メーカーで働いていた。漁協のIターン制度に応募し研修生として採用され、漁師と一緒に海に出て一本釣りを学んだ。28歳で独立し、空き家を買って妻と息子の3人ぐらしだった。ローンを払い終わったのは火事の四カ月前で、涙も出なかったと、立ち入りの許可が出てからなにか残っていないかと探した。永倉さんはしばらく漁にも出れなかったと語ったが、仲間が背中を押してくれたという。今の道具は頂き物と答えた。この日はタチウオを狙う。冬はサイズが大きく脂も乗っていて高値がつく。
永倉さんは避難所で一ヶ月生活していた。今は、空き家だった一軒家を借りて暮らしている。永倉さんは復興についても今の現状では悩ましいと答え、まだ何も浮かんでこないと答えた。26年1月に火事の2ヶ月後には瓦礫の撤去がスタート。11月までにすべて終わらせる予定だという。八潮工業の木崎さんも新たな道に進む。会社は解散し、漁協と木崎さんで漁具を製造し、7月に再開予定。焼け跡からは製造に使えそうな型が10種類ほど見つかっている。
永倉さんは避難所で一ヶ月生活していた。今は、空き家だった一軒家を借りて暮らしている。永倉さんは復興についても今の現状では悩ましいと答え、まだ何も浮かんでこないと答えた。26年1月に火事の2ヶ月後には瓦礫の撤去がスタート。11月までにすべて終わらせる予定だという。八潮工業の木崎さんも新たな道に進む。会社は解散し、漁協と木崎さんで漁具を製造し、7月に再開予定。焼け跡からは製造に使えそうな型が10種類ほど見つかっている。
