東日本大震災で最も多い犠牲者を出した宮城県石巻市。2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。石巻市の住民は、近くの日和山に避難した。16歳で仙台の高校に通っていた阿部さんは、震災発生時、祖母と2人で石巻市内の自宅にいた。海まで距離があることなどから、避難せずに自宅にとどまることにしたが、地震発生から約50分後、津波が押し寄せていることに気付いたという。祖母とともに家の中に閉じ込められ、夜には、気温が氷点下に。冷蔵庫の中の食べ物を2人で分け合ってしのいだ。阿部さんは、凍傷とエコノミークラス症候群で歩けない状態になった。発災から9日後の3月20日、阿部さんは、崩れた屋根の隙間から外に出ると、見えるはずのない水平線が見えたという。阿部さんと祖母は救出された。自宅は、津波で2階部分だけになり、約130メートル流されていたことがわかった。阿部さんたちが救出された翌朝、地元紙は、この救出劇を奇跡と報道した。阿部さんは、奇跡ではなく偶然、本来ならば死んでいてもおかしくない、自分だけが助かって、奇跡と呼ばれていいはずがないなどと話す。阿部さんの近隣では、同じように避難せず4人が亡くなっている。阿部さんは、地域の人たちと一緒に避難することで救えた命があったし、祖母の命を危険にさらすこともなかったかもしれない、あの出来事は自分にとって失敗でしかないなどと話した。阿部さんはその後、震災の経験を語り継ぐ仕事を始めた。去年のカムチャツカ半島地震で、一時日本の太平洋沿岸を中心に津波警報が発表された。石巻市の沿岸地域に避難指示が出された。阿部さんは、避難所になった石巻中学校にいた。当時、部活動中の生徒たちがいて、避難所の運営を手伝っていた。生徒だけでも避難所の運営ができるようにという中学校の依頼を受け、阿部さんらが始めたのは、防災リーダー育成講座。東日本大震災を知らない世代が参加した。そのうちの1人、梅村さんは、地域で行われた訓練にも参加した。訓練は、震災前に阿部さんが住んでいた地域で、毎年行われているもの。梅村さんは、避難誘導を受けて高台に向かう修学旅行生役を担当した。梅村さんたち中学生が避難所の運営を手伝う場面もあった。訓練後は、反省点や課題を出し合った。阿部さんは、自分と同じ失敗を繰り返してほしくない、自分の命を守り、周りの命も考えられるような判断ができる準備をしてほしいなどと話した。
