- 出演者
- 井澤健太朗 森山みなみ
東日本大震災から15年。死者は1万9711人・行方不明者は2519人。2016年には熊本地震が発生し死者は278人、2018年には北海道胆振東部地震が襲い死者は44人、2024年には能登半島地震が発生し死者は723人・行方不明者2人。震度5以上の地震が約20日に1回起きていることとなる。
オープニング映像。
東日本大震災から15年。現在の宮城・石巻市の映像が流れた。当時、津波は漁港や市街地を飲み込み、3500人超の犠牲者が出て、未だ400人以上が行方不明のまま。今は奥に穏やかな海が広がっているが、平時の今だからこそ知ってほしい言葉がある。災害と災害のはざま「震間」。今日は震間をテーマに伝える。
あの日、故郷で何が起きたかを語り継ぐ阿部任さん。津波で流された自宅に祖母と共に閉じ込められ、9日後に救出された。その救出劇をメディアは“奇跡”と報道。しかし、自分が避難していれば救えた命があったとの後悔が後の阿部さんの人生を大きく変えることになった。
東日本大震災で最も多い犠牲者を出した宮城県石巻市。2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。石巻市の住民は、近くの日和山に避難した。16歳で仙台の高校に通っていた阿部さんは、震災発生時、祖母と2人で石巻市内の自宅にいた。海まで距離があることなどから、避難せずに自宅にとどまることにしたが、地震発生から約50分後、津波が押し寄せていることに気付いたという。祖母とともに家の中に閉じ込められ、夜には、気温が氷点下に。冷蔵庫の中の食べ物を2人で分け合ってしのいだ。阿部さんは、凍傷とエコノミークラス症候群で歩けない状態になった。発災から9日後の3月20日、阿部さんは、崩れた屋根の隙間から外に出ると、見えるはずのない水平線が見えたという。阿部さんと祖母は救出された。自宅は、津波で2階部分だけになり、約130メートル流されていたことがわかった。阿部さんたちが救出された翌朝、地元紙は、この救出劇を奇跡と報道した。阿部さんは、奇跡ではなく偶然、本来ならば死んでいてもおかしくない、自分だけが助かって、奇跡と呼ばれていいはずがないなどと話す。阿部さんの近隣では、同じように避難せず4人が亡くなっている。阿部さんは、地域の人たちと一緒に避難することで救えた命があったし、祖母の命を危険にさらすこともなかったかもしれない、あの出来事は自分にとって失敗でしかないなどと話した。阿部さんはその後、震災の経験を語り継ぐ仕事を始めた。去年のカムチャツカ半島地震で、一時日本の太平洋沿岸を中心に津波警報が発表された。石巻市の沿岸地域に避難指示が出された。阿部さんは、避難所になった石巻中学校にいた。当時、部活動中の生徒たちがいて、避難所の運営を手伝っていた。生徒だけでも避難所の運営ができるようにという中学校の依頼を受け、阿部さんらが始めたのは、防災リーダー育成講座。東日本大震災を知らない世代が参加した。そのうちの1人、梅村さんは、地域で行われた訓練にも参加した。訓練は、震災前に阿部さんが住んでいた地域で、毎年行われているもの。梅村さんは、避難誘導を受けて高台に向かう修学旅行生役を担当した。梅村さんたち中学生が避難所の運営を手伝う場面もあった。訓練後は、反省点や課題を出し合った。阿部さんは、自分と同じ失敗を繰り返してほしくない、自分の命を守り、周りの命も考えられるような判断ができる準備をしてほしいなどと話した。
東日本大震災の発生時、震源から遠く離れた東京都心では「長周期地震動」が起きていた。気象庁はこの長周期地震動を4つの階級に分類しており、階級4では立っていることができないとされている。階級4の揺れはこれまでに7回観測され、長周期地震動全体でみると2013年以降157回観測されている。長周期地震動は建物の高層階ほど揺れが増幅され、被害が大きく出るという特徴がある。東日本大震災時に長周期地震動を観測した新宿野村ビルでは、2016年に後付けで屋上に700トンの制振装置2基を設置した。揺れが生じると制振装置が揺れと逆の方向に動き、ビル全体の揺れが軽減されるという。また去年9月に開業した「BLUE FRONT SHIBAURA」では上層階と下層階を構造的に独立させており、2つの階は積層ゴムとオイルダンパーで連結されている。地震が起きるとそれぞれが打ち消し合うように揺れ、ビル全体の揺れを半分以下に抑えることができるとのこと。
災害時にも役立つ日用品。「クッション型寝袋」は頭部分に枕もついていて、寝心地も考えられている。またお皿「洗う・拭くをカンタンに(ラクピカ)」は、一杯の水を流すだけで汚れを落とすことができ、水がないときはティッシュでも落とすことが可能。
福島県浪江町にある小学校の敷地には、ドローンを設置するスペースがある。地震を感知すると屋根が開き、ドローンが自動で飛び津波映像を配信。また南相馬市・浪江町に位置する「福島ロボットテストフィールド」では年間約200件の実証実験が行われ、東京科学大学は「音を検知して被災者を探す」実証実験を行った。また會澤高圧コンクリート・福島RDMセンターの建物には、ひび割れが勝手に直る自己治療コンクリートが搭載。
會澤高圧コンクリートでは、世界初の蓄電するコンクリートを開発。非常時に電気が使えないときでもスマホを充電したり、非常用の電力として使えるような商品展開を目指している。また巨大地震などへの備えとして自動でドローンが飛び立ち長時間飛行が可能な、精密避難支援システム「TheGuardian」を開発。ドローンの映像は住民に生配信され、2030年に本格運用を目指す。
福島・大熊町から中継。東京電力福島第一原発では一進一退の廃炉作業が続いている。福島第一原発の1~3号機には約880tのデブリがあるとされていて、その取り出しこそが廃炉の本丸で最難関の作業と言われている。2号機ではこれまでに2回の試験的な取り出しが行われ、約0.9gのデブリが取り出されている。本格的な取り出しは3号機で始まる計画だが、取り出し時期が2037年以降へと先送りされている。廃炉への見通しは険しいものとなっている。
宮城県名取市から中継。震災当時、名取市閖上地区は約9mの津波に襲われ、ほとんどが流され人口の約1割、754人が犠牲になった。名取市は土地を5m嵩上げして閖上を再び人が住める町へと作り変えた。市全体では震災前よりも人口が増え、閖上地区でも震災で一時的に人口が0になったが、今は3000人以上が暮らしている。住民に安心感をもたらしているのが2017年にできた災害公営住宅。災害避難ビルも兼ねている。広場にあるベンチの板を外すとかまどになり、災害時は炊き出しをすることができる。
岩手県大船渡市から中継。この施設では約4000匹のチョウザメが陸上養殖されている。チョウザメの水槽の水はレタスの水耕栽培エリアに送られ、そこで浄化した水を水槽に戻すという循環型農法を行っている。震災では大船渡市も津波による被害を受けたが、この施設は復旧した市の浄化センターで使われていなかった土地を活用して2022年に稼働を開始した。チョウザメは今年ようやくキャビアが出荷できるようになった。この取り組みは震災における未利用地を有効活用し雇用創出にも繋がっている。
岩手県陸前高田市にはかつて7万本の松が生い茂っていたが、津波により1本の松を残して全て流された。残された松は「奇跡の一本松」として復興の象徴となっている。陸前高田市の関連死を含めた死者と行方不明者数は1807人。宮城県石巻市の日和山公園の様子。石巻市の死者・行方不明者は3970人。福島県浪江町の様子。この地区は15mを越える津波に襲われ、請戸小学校では2階まで浸水したが、奇跡的に全員が避難できた。東日本大震災の発生時刻に各地の様子が流れた。
エンディングのあいさつ。
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