山本美香さんがジャーナリストを志した原点は新聞記者だった父親。夢は海外で活動する報道記者、大学を卒業し衛星放送局に記者として入社。その後デスクワークの職場に移動となり悩んだ末に退社した。進むべき道を模索する中出会ったのはジャーナリストの佐藤和孝さん。1996年、美香さんはアフガニスタンで紛争地を取材した。アフガニスタンはイスラムの教えを厳格に解釈するタリバンが支配した。学ぶことを禁じられた女性たちは隠れて英語を学んでいた。紛争地に閉じ込められた声なき声を伝えたいと、美香さんは佐藤さんと二人三脚で取材を続けた。
2012年、美香さんと佐藤さんはシリアへ。独裁体制を敷く大統領と反政府勢力との間で戦闘が続いていた。アサド政権は取材を厳しく制限していた。13年ぶりに北部の都市を訪れた。あの日取材した場所では橋桁の下まで逃げたという。2人は政権側の攻撃にさらされている住民たちを取材しようとしていた。銃撃を受けるまで美香さんは約30分間撮影していた。避難したくてもできない年齢を重ねた人や子どももいた。街の人達が逃げ出した。「みんな逃げている」これがカメラに残された美香さんの最後の言葉になった。男が銃撃の直前に「アル・ヤバニーェ」と日本の女性を意味する言葉を叫んだ。
2012年、美香さんと佐藤さんはシリアへ。独裁体制を敷く大統領と反政府勢力との間で戦闘が続いていた。アサド政権は取材を厳しく制限していた。13年ぶりに北部の都市を訪れた。あの日取材した場所では橋桁の下まで逃げたという。2人は政権側の攻撃にさらされている住民たちを取材しようとしていた。銃撃を受けるまで美香さんは約30分間撮影していた。避難したくてもできない年齢を重ねた人や子どももいた。街の人達が逃げ出した。「みんな逃げている」これがカメラに残された美香さんの最後の言葉になった。男が銃撃の直前に「アル・ヤバニーェ」と日本の女性を意味する言葉を叫んだ。
