横浜都市発展記念館は横浜の歴史が学べる場所。かつて横浜大空襲があり、横浜の中心部は焼け野原に。終戦後は米軍が接収され、周辺よりも復興が遅れた。復興の途上にあった1959年に完成したのが横浜市庁舎だった。仁藤さんらは歴史を学び、それを受け継ぐ意味を知った。その設計をしたのは村野藤吾で、日本を代表する建築家。ホテルに改築されたのが行政棟で村野藤吾が特にこだわったのは中央の市民広間。2階建ての空間で、演奏会などが開催されるなど市民が自由に過ごせる憩いの場だった。政治の中心には一人一人の市民がいると、その民主主義の理念を村野の市民広場は体現している。今回市民広間は解体されたが、そこにあった階段は移設され、建物のシンボルに。
