- 出演者
- 長谷川博己
オープニング映像。
ゴールデンウィークを迎えた人気の観光地の横浜。JR関内駅に新たな名所にBASEGATE横浜関内が誕生。エンタメとグルメが融合した施設で人気スポットの1つがワンダリア横浜。臨場化あふれる映像に没入し非日常の体験ができる。一方、コンサートで熱狂できるライブビューイングのTHE LIVE。横浜のソウルフードなどが楽しめる。真新しいこの施設の隣には古びた建物が。1959年に建てられた旧横浜市庁舎があり、昭和の名建築の1つ。この建物は星野リゾートがホテルに生まれ変わらせた。先週開業したOMO7横浜は焼き立てのパンを販売し、OMOベーカリーではカレーパンを5種類も販売しているが、カレー伝来の地と言われる横浜。スパイスにこだわった。また大型ドッグガーデンも完備し、愛犬と一緒に宿泊が可能。市庁舎時代に使われなかった屋上は、開放感とはまかぜを楽しめるテラスになり、横浜スタジアムを見下ろせる。部屋は276室あるという。星野リゾート代表の星野佳路は昔の建物を再利用する理由に昔の物を残すことによって、重厚感もあると答え、今の機能を満たしていてその魅力に繋がっているという。それを託されたのが仁藤さん。生粋の浜っ子で、ここから地元横浜の魅力を発信したいとホテルの開業メンバーに手を上げた。
“刻まれた物語”という映像が流れた。
今年星野リゾートが新たに手掛けるホテルのOMO7横浜by星野リゾート。1月中旬には、開業の準備が着々と進んでいた。ホテルの中には至る所に建設当時のものが。ロビーの床も昔のままだという。改修を手がけたのは大手ゼネコンの竹中工務店。建物の耐震補強などを行い、4年がかりの難工事だった。竹中工務店などが事業主となり星野リゾートがホテルの運営を任されたが、浜っ子の星野リゾートの仁藤さんは重要な任務を任されていた。このホテルは立地に課題があり、館内エリアにあるOMO7横浜は、人気の観光名所の赤レンガ倉庫までは歩いて20分で、みなとみらいまでは30分ほどかかる。そこで仁藤さんはホテル周辺の穴場スポットを発掘することで一味違う横浜をアピールしたいと考えた。そこで線路の反対側の、観光客があまり来ないエリアに絞った。それを担当するのは若手社員。通称OMOレンジャーのリーダーに仁藤さんが選ばれていた。横浜市を訪れる観光客の86%が日帰り旅というデータがあり、横浜の穴場で腰を据えて泊まりたくなるというのが星野リゾートの狙い。
1月下旬に仁藤さんらはご近所マップの店探しを行っていた。伊勢崎町の商店街にやってきたがそこはアーティストの「ゆず」がかつて路上パフォーマンスをしていた場所。他にも天麩羅 登良屋という天麩羅の老舗も。さらに野毛町は600件の店がひしめく飲み屋街でご近所マップに乗せたい店もあった。そんな地元出身の仁藤さんにも未開拓の場所がある。野毛都橋商店街は1969年に竣工し、横浜市の歴史的建造物だという。どの店を紹介するか、後日改めて訪れるという。2日後に仁藤さんは地元商店街の切実な思いを聞いた。この日は地元町内会のイベントが開催。商店街のまとめ役の山下さんが吉田町を案内してくれるという。吉田町を象徴するのは吉田町第一名店ビル。鉄筋コンクリートのビルで、70年近く前に火災から街を守るために建てられた。また創業100年を超える鶏肉専門店 梅やは浜っ子に愛され続ける鶏肉の専門店。宿泊客が増えれば地元も潤うと街もホテルに期待を寄せている。ホテルの屋上にやってきた仁藤さんは名建築ならではの仕掛けを思いついていた。
横浜都市発展記念館は横浜の歴史が学べる場所。かつて横浜大空襲があり、横浜の中心部は焼け野原に。終戦後は米軍が接収され、周辺よりも復興が遅れた。復興の途上にあった1959年に完成したのが横浜市庁舎だった。仁藤さんらは歴史を学び、それを受け継ぐ意味を知った。その設計をしたのは村野藤吾で、日本を代表する建築家。ホテルに改築されたのが行政棟で村野藤吾が特にこだわったのは中央の市民広間。2階建ての空間で、演奏会などが開催されるなど市民が自由に過ごせる憩いの場だった。政治の中心には一人一人の市民がいると、その民主主義の理念を村野の市民広場は体現している。今回市民広間は解体されたが、そこにあった階段は移設され、建物のシンボルに。
再生と創造という映像が流れた。
3月になり、仁藤さんたちは村野藤吾の孫の村野朋子さんに改修した旧横浜市庁舎をみてもらった。このホテルは村野がこだわった市民広場の思いを受け継ぎ、1階と2階は宿泊者でなくても自由に過ごせるようにした。個人と自由を尊重する村野の思いに仁藤さんはホテルにも継承しようと考えた。一方でご近所マップの店探しでは、ぜひとも掲載したいジャンルがあった。ジャズ喫茶店があったが、横浜は日本のジャズの発祥の地と呼ばれていて、市内には多くのジャズバーやジャズ喫茶がある。宿泊客にジャズの良さが伝われば横浜の夜をもっと楽しでもらえると感じた。最初はシンプルな思いつきだったが、この日、ジャズという音楽には深いメッセージがあることを知った。1950年代後半はモダンジャズの絶頂期だったが、個人が自由に表現するスタイルが人気だった。個性と自由を尊重するジャズと村野の建築は、一人一人の幸せを思う共通点があった。
一方でホテルの内部も着々と準備が進んでいった。2階のベーカリーでは大型オーブンの最終調整が行われていた。市議会の本会議場に使用されていた場所は淡いグリーンにまとめられた。ビュッフェ形式のレストランも完成し、天井の梁は昔のまま。当時飾られていた絵画も修復を終えて返ってきたが、市民広間の時計は職人の修理を経て、ホテルの顔となるレセプションに設置された。開業を翌日に控えた3月中旬にやってきたのは星野リゾートの代表の星野佳路。ホテルの中をチェックしてまわった。一方で仁藤さんらは野毛都橋商店街にやってきたが、ご近所マップ作りが大詰めに。穴場の名店と見込んだのはブラジル食堂。ここは立ち飲みの店で、料理も酒も本格派。バチーダはサトウキビの蒸留酒とココナッツミルクのカクテルを使用している。ブラジルソーセージなど国際色豊かな味が楽しめるのも異国文化の玄関口の横浜の売り。
OMO7横浜by星野リゾートの開業を10日後に控え、OPスタッフが集められた。ご近所マップには日々穴場の名店が増えていった。全て足で稼いでみつけた名店ばかりで最終的には50の店を掲載。あのブラジル食堂は、その日あったことを話に行きたくなると紹介。屋上のテラスでは別の計画が進んでいて、ジャズのライブを楽しめるようにしたという。他にも食事などが出来、同じ理念を持ったジャズと建物の融合を叶えた。そしてこの日はそのリハーサルが行われた。しかしここで問題が発覚。真横を通る線路の影響で演奏が聞こえないという懸念が。また野球シーズンともなれば、横浜スタジアムから歓声も。
OMO7横浜by星野リゾートの開業日を迎えた。多くの客がホテルにやってきたが、300人の宿泊客が押し寄せた。地元横浜市民も駆けつけ、ロビーの一角には建物を設計した村野藤吾の理念を伝える展示も。60年以上市民に親しまれた大階段に人々の足音が。2階には思い思いに過ごす人々の姿が。浜っ子の憩いの場の市民広間の復活となった。そして午後8時に生演奏会がテラスでスタート。すると横浜スタジアムから大歓声が。そんな中、仁藤さんがジャズライブを主催した。
「ガイアの夜明け」の次回予告をした。
「ワールドビジネスサテライト」の番組宣伝。
