空襲で家族を亡くした河合節子さんは85歳。国が戦争の責任をとっていないことを街頭で訴え続けている。1945年の東京大空襲では10万人が死亡。河合さんの母と弟2人が亡くなり、生き残った父親は顔などに大火傷を負った。戦時下の日本では住民に避難を禁止し消火作業を義務付ける防空法があり、河合さんの家族も当時任務に当たっていて避難が遅れた。父は生還後、毎晩のようにうなされていたという。
東京都慰霊堂の裏手にある納骨堂。東京大空襲と関東大震災の犠牲者が「戦災遭難者遺骨」として一緒に安置されている。誰のものなのか、骨壺1つに何人分が入っているのかは分かっていない。07年、遺族らは民間人被害への謝罪と損害賠償を求め国を提訴するも、「国民のほとんど全てが戦争被害を負っている」との判決で敗訴。3月、遺族の河合さんらは被害者救済法案の成立を求め今も毎週国会前に立ち続けている。
東京都慰霊堂の裏手にある納骨堂。東京大空襲と関東大震災の犠牲者が「戦災遭難者遺骨」として一緒に安置されている。誰のものなのか、骨壺1つに何人分が入っているのかは分かっていない。07年、遺族らは民間人被害への謝罪と損害賠償を求め国を提訴するも、「国民のほとんど全てが戦争被害を負っている」との判決で敗訴。3月、遺族の河合さんらは被害者救済法案の成立を求め今も毎週国会前に立ち続けている。
