依頼者・素也さんのルーツを調査。素也さんは輪島塗の仕事を職人に配る塗師屋をしている。家に残る古い注文書には曽祖父・大工治太郎の名前と大本山總持寺祖院の印があった。總持寺で輪島塗の香合を見せてもらうと、記された時代から治太郎が28歳のときに納めたものとわかった。全国から集まる僧侶の間でも輪島塗の職人たちの腕は評判だった。治太郎の息子・富二がその後塗師屋を継いだが、昭和4年に昭和恐慌に見舞われた。輪島の漆器も需要が落ち込み、富二は仕事を求めて日本各地に足を運んで発注主を探した。仕事が安定しかけた頃に日中戦争が勃発し、輪島塗に欠かせない金が統制された。終戦後も輪島塗の職人たちには仕事のない日々が続き、富二の長男・素治郎も父の教えに従い各地に足を運んだ。素治郎から仕事を任されていた西方さんは、穏やかな器のでかい人だった、もうけ主義じゃない印象を受けたと話した。昭和31年に大雨で輪島川が氾濫し、町は大洪水に見舞われた。そんな中でも素治郎は取引先に足を運び続けた。注文を寄せてくれたのは、代々取引を重ねてきた旅館やお寺だった。高知の老舗旅館では当時の漆器が今もなお大切に使われていた。輪島塗は、昭和52年に国の重要無形文化財に指定された。能登半島地震が起きると依頼者の素也さんは、作業場を失った職人たちに自宅を開放した。
