1945年の沖縄戦で俊夫さんは食料などの物資を届ける役目を担ったが、米軍によって補給路は遮断されて沖縄に物資は届かなかった。兵士だけでなく住民も飢えに苦しみ、多くの命が失われた。食べ物の大切さを痛感し、その経験からふくやを開業した。俊夫さんは生前、一度死んだ身だから陰からのお世話に徹したいと話していたという。メンタイ作りは開始から10年でようやく完成し、昭和32年に「味の明太子」として販売を開始した。ボランティアなど人が喜ぶことをやっていた俊夫さんの姿を見ていた人達が会う人会う人に売り込み、明太子は一気に広まっていった。すると他の店から明太子を置かせてほしいとお願いされるようになった。卸売りをすると仲介業者が入り値段が高くなり、品質が保てなくなる可能性があった。さらに俊夫さんは安くて美味しいものを食べてもらいたいと直販にこだわっていた。そこで俊夫さんは10年欠けて生み出した明太子の製法を、惜しみなく伝えた。ただふくやの味付けを教えたわけではなく、いろんな味があったからこそ広まっていった。現在は200社以上の明太子店が生まれ、市場規模は約1200億円まで拡大した。
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