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ミラノ・コルティナパラリンピック車いすカーリング日本代表・小川亜希さんと、コーチの萩原詠理さんを取材。パラリンピックで奮闘した日本人選手たちの知られざるドラマに迫る。車いすカーリング、スノーボード、クロスカントリーなど。
車いすカーリングは、円の中心に最も近いチームが得点を得る。小川亜希さんはパラリンピック日本代表。コーチの萩原詠理さんはカーリングのトップ選手。現役選手がパラスポーツのコーチを務めるのは異例のこと。小川さんは2003年にスキー事故で脊椎を損傷、下半身が動かなくなった。小川さんのサポートをしたのがカーリングの普及活動を行う萩原コーチの両親だった。その後、小川さんは車いすカーリングの第一人者として2010年にバンクーバーパラリンピックに出場した。
萩原コーチは2003年に生まれ、5歳でカーリングを始めると、競技を通じ小川さんとの交流が深まった。初めて出た大会は小川さんと一緒だったという。その後萩原コーチは2014年の日本選手権に史上最年少・11歳で出場。2022年には世界ジュニア選手権で日本史上初の金メダルを獲得した。オリンピック出場を目指していたところ、小川さんからコーチ兼通訳としての帯同を依頼され、どちらも挑戦することを決めたとのこと。
16年ぶりにパラリンピック出場を果たした車いすカーリング日本代表。コーチの萩原詠理さんは現役のトップ選手でありながらパラスポーツのコーチになる異例の決断をした。中学の弁論大会では、小川さんと一緒にオリンピック出る夢を語った。小川さんたちは世界ミックスダブルス選手権で金メダル、パラリンピック出場権を獲得した。ミラノ・コルティナパラリンピックではイタリア戦で2人の絆を象徴する試合となった。その後、日本は3勝4敗で予選リーグ敗退となったが積み重ねてきた歩みは4年後への大きな糧となった。
小須田潤太さんは、パラスノーボードの世界王者の肩書を持っている。2012年3月、交通事故で右足を切断した。事故から3年後の2015年8月、義足ランナーの講習会に参加したことから、小須田さんはスポーツに熱中していった。日本を代表するパラアスリート・山本篤氏に弟子入り。陸上競技と並行しスノーボードにも挑戦。夏と冬、2度のパラリンピックに出場するまでになった。さらなるモチベーションとなったのは、小須田さんの子どもたち。スポーツとの出会いと、家族の存在が小須田さんを変えた。今年1月の練習中に転倒してフェンスに衝突、右ひじ骨折のケガを負った。そんな中、ミラノ・コルティナパラリンピックでは、スノーボードクロス決勝に出場したが、途中転倒し3位でゴールした。しかし転倒の際に、他の選手の走路を妨害したと判定され失格(4位)となった。3度目のパラリンピックは悔しい結果に終わった。
子育てをしながら大会に出場した阿部友里香さんはクロスカントリースキーのパラリンピック日本代表選手で、右手のストック1本で競技に臨んでいる。阿部さんは岩手県出身で、左腕に障害があるものの幼い頃から運動するのが大好きだった。中学生の時にバンクーバーパラリンピックをテレビで観たことをきっかけにクロスカントリースキーを始めたいと思ったものの、その矢先に東日本大震災が発生して避難生活を余儀なくされた。その後県内のスキー強豪校である盛岡南高校に進学し、高校3年生でパラリンピック初出場を掴んだ。その後も競技を続け、3年前に娘の桜羽ちゃんを出産した。その後は子育てと両立しながらトレーニングを続け、迎えたミラノ・コルティナパラリンピック女子10kmクラシカルでは家族が応援する中で課題だった後半のペースダウンを克服して自己最高成績の4位入賞を果たした。
パラアイスホッケー日本代表は今大会で2大会ぶりの出場を果たした。日本代表の石川雄大選手は18歳の時に骨肉腫を発症し、左膝に障害を負った。その後腎不全を患って一時命の危機に陥るも、ドナーとなった母に救われて今日代表選手として活躍している。結果は5戦全敗となったものの、次の大会へリベンジを誓う。
エンディング映像が流れた。
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