依頼者・亮一さん、剛さんのルーツを調査。亮一さんの家には大正時代に小学校教師をしていた曽祖父・甚松の銅像があった。現在は閉校し、小学校だった場所は地域のコミュニティセンターになっている。子どもたちのために老朽化した校舎を建て替える計画が持ち上がったが、それには現在の価値で3億円を超える資金が必要だった。村は貧乏で収入の道がなかったが、禁酒による節約に最後の望みをかけた。当時の村長だった森山忠省が推し進め、甚松も大きな役割を果たした。当時村で消費する酒の量は莫大で、村人みんなが酒を我慢すれば5年で小学校の建設費が建てられる計算だった。大正15年1月28日に行われた村の集会では反対の意見が飛び交ったが、最後には村をあげての禁酒が決定した。全298世帯が毎日5銭以上を貯金し、小学校は新しい校舎に生まれ変わった。昭和6年に学校建設費をすべて返済して記念式典が行われたとき、甚松は村長になっていた。禁酒の物語は世間の評判となり、タイム誌も村を称賛する記事を書いた。今も禁酒の学校を語り継ぐ会が紙芝居で語り継いでいる。甚松の玄孫にあたる中央大学の谷下教授は故郷の歴史を調べ、村では禁酒だけでなく将来のために植林を進めていたことを知った。谷下教授は、自分たちの地域にどうやって誇りを持ち自分たちの地域を次の世代にどうつなげていくかを当時の人たちは真剣に議論していたんじゃないかと話した。木を売った資金で橋や宿泊施設などが建設された。
