- 出演者
- 所ジョージ 林修 高橋成美 宮世琉弥
オープニング映像。
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今回のポツンと一軒家は福岡県。情報は広大な敷地、敷地中央に建物が3棟、道を挟んで整備された畑、家の左に黒く四角い区画。4世代が同居、元F1レーサーの家、お茶農家、鯉を養殖などと予想。まずは最寄りの集落で聞き込み。しかし、このポツンと一軒家には誰も住んでいないことが分かった。モリタススムさんという方が住んでいたといい、福祉施設に入所したという。ここで教えてくれた石川輝明さんの同級生がポツンと一軒家に住んでいることが判明。名前はクスマコトさん。石川輝明さんに道案内をしてもらった。
石川輝明さんに案内してもらい、福岡県のポツンと一軒家にたどり着いた。このポツンと一軒家に1人暮らしをしているのは楠誠さん・83歳。石川輝明とは中学校が一緒だった。当時は徒歩で通学していたといい、片道12、3km。2時間ほどかけて通っていたという。中学卒業後、石川輝明さんは福岡市内で就職。楠誠さんは林業に従事した。楠誠さんはお風呂用の薪を切っていたという。この家は父が建築、築65年。元々は茅葺き屋根だった。建て替えの時は大工が泊まり込みで作業をした。大工と家族で共同生活をしていたという。楠誠さんの父は炭焼きの仕事をしていた。楠誠さんは馬で木材を運搬していたという。当時は杉が高値だった。楠誠さんは一人っ子。6歳の時に母が結核に罹患して亡くなったという。母の死後は山奥で父と2人暮らし。楠誠さんは中学卒業後、地元の林業会社に就職。それから70年近く山仕事に従事している。山に泊まり込みで作業をしていたといい、1回の現場で半年間寝泊まりしていたという。当時の給料は日給で1000円か1500円。大卒初任給は1万3000円。うどん300杯分の日当だったといい、山の仕事は給料が良かった。今でも森林組合の簡単な仕事はしているという。杉の成長を見るのが楽しいと話した。
「エラー」の番組宣伝。
65年前、母屋を建て替える間の仮住まいとして、大工たちと一緒に寝泊まりしていたのが農機具小屋。唐箕や縄綯い機など昔の道具があった。今も藁を購入し、縄綯い機で縄を編んでいる。出来上がった縄は杉苗の出荷に使う。実際は売っている縄を買った方が安いという。家の裏に杉の苗木がある。杉の枝を切り落とし、それを地面に挿して発根させる。根についた土を落とすなどして出荷準備をし、決まった本数を手作りした縄で縛って1つにまとめる。杉の苗木は森林組合に出荷するという。年間6000本を出荷。先代から育苗をしている。花粉の問題があるため、少花粉の木から苗木を作っているという。今は苗木不足だといい、伐採まで50年ほどかかる。次の世代につなげるために植林をしているという。この日、軽トラに積載した杉の苗木は1500本。楠誠さん自身が納品している。12km離れた麓の森林組合へ向かった。組合職員と2人で荷降ろしをした。年間30万本の杉の苗木が森林組合に集まる。杉の木は需要があり、ほとんどが建築資材として使われる。外国産の杉の方が価格は安いが、使用する用途が違うという。楠誠さんは手入れをしないと太い木にならないなどと話した。
65年前、亡き父が母屋を建て替えた。現在は楠誠さんが1人で生活している。玄関はコンクリートの土間。玄関から入り、真っ直ぐ行くと台所がある。和室には両親の遺影などが並んでいた。父・真澄さんは仕事に対しては厳しい人だったという。母・トクヨさんは楠誠さんが6歳の頃に亡くなった。優しかったという。妻・榮子さんは享年72、取材日が命日だった。脳梗塞が原因で亡くなったという。真面目で頑張り屋な人だったと話した。榮子さんは結婚前、八女市内の砂糖の卸屋に勤める事務員だった。結婚後は家業の手伝いをしてくれたという。お見合いから25日後に結婚。一男一女、2人の子宝に恵まれた。子どもたちは高校卒業後に就職して独立。今はそれぞれ家庭を築き、福岡県内で暮らしている。孫も5人生まれ、楽しい老後を送っていた。7年前、妻・榮子さんが他界。以来、楠誠さんはポツンと一軒家で1人暮らしを続けている。居間には榮子さんが手帳に書いていた遺訓を写した紙が飾られていた。台所は10畳。谷の水を使用している。水源は家から200m。年に2、3回は貯水槽の掃除をしているという。お風呂場には脱衣所との間仕切りはない。薪を燃やしてお湯を温める。昼食は団子汁。白菜の漬物やたくあんは長男の妻が持参してきてくれたもの。番組スタッフも一緒に団子汁などを食べた。榮子さんがいなくなってから生活は激変したといい、1人になって改めて妻に感謝していると話した。動ける間はこの家で生活して、杉の世話をしたいという。宮世琉弥は何十年もこの職業を続けているのがすごい。1つ1つの作業も丁寧だったと話した。
