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- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 小室瑛莉子
今から15年前、インド・クルにやってきた。アマル・バラティさんは38年間、右手を上げっぱなし。これはヒンドゥー教の修行のためだという。彼は悟りを開くために、絶対に右手を下ろさないという過酷な苦行を課し修行を続ける特別な人。右手はすっかり細くなり、爪は伸び放題。彼は朝3時に起床し、歯磨きも水浴びも左手一本でする。近所の信者たちからはものすごく尊敬されている。寝るときも腕を上げっぱなし。身体は大丈夫なのか?レントゲン写真を撮影したところ脱臼していた。医師によると慣れてしまえば痛みはあまり感じないという。あれから15年、バラティさんは今も右手を上げたまま生活していた。
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- クル(インド)
今夜は世界中の激ヤバ!スゴすぎピーポーを紹介する。
アメリカのキム・グッドマンさんは目ん玉飛び出しピーポー、約11ミリも飛び出していてギネス世界記録に認定されている。医学的には原因は不明だが、特に問題ないという。あれから18年、ギネス世界記録を破る女性は未だにいない。
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- ギネス世界記録
軟体おじさんのイ・ヤンスンさんはカラダ二つ折りで直結35センチをくぐった。あれから24年、ヤンスンさんは74歳になった今も元気で芸能人芸術公演団という団体で活動中。
コートジボワールのアビジャンに住むウドクシー・ヤオさんはアレが日本人の平均2倍。
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- アビジャン(コートジボワール)
コートジボワールのアビジャンに住むウドクシー・ヤオさんはビッグヒップピーポー。ヒップの大きさは152.6センチ。ヒップのサイズが日本人平均の約2倍。診察した医師によるとお尻が大きいのは遺伝だという。
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春山総星さんはノックの神様。メジャーリーグからスカウトがくるほどの正確さ。ヘルメットの上に乗せたボールをノックで狙い、命中させた。バットでピッチャー役もこなす。車の窓を通してその先のスイカを割る挑戦でも成功させた。車で移動する選手に外野の定位置でボールをキャッチさせる挑戦も見事成功させた。ボールを綱渡りのように上昇させ扇子を落とすという挑戦。ロープの太さはわずか18ミリ。春山さんは見事成功させた。あれから24年、春山さんは78歳になっていた。2年前に胃がんを患い手術をしたのだという。春山さんは今、野球を指導する塾の塾長をし、中学生の硬式少年野球チームを率いる監督でもある。伝説のバットコントロールは健在なのか?1塁ベースに置かれたペットボトルを狙うノックに挑戦。指を負傷中だとう春山さんは10球以内にペットボトルを倒せるのか?結果はわずかにズレて成功ならず、18球目で成功させた。
今から18年前、7歳の弥谷拓哉くんはフラッシュ暗算の天才。最年少で暗算の最高位・十段に合格していた。右脳でそろばんをして、左脳で会話をするという脳の二刀流だった。あれから18年、弥谷さんは25歳になり、そろばん教室USAの先生をしていた。そろばんや暗算で日本一の生徒を多く輩出する名門教室。弥谷さんはフラッシュ暗算でギネス世界記録を樹立していた。3桁の数字30個を3.30秒で暗算した。
弥谷拓哉さんは円周率を唱えながらの暗算に挑戦し、正解した。円周率の下40桁も完璧だった。食料品を買うときは1グラムあたりいくらかがすぐにわかるため、お買い得な商品をすぐに判断できるという。
ヨウ・インヒョクさんは韓国の高校卒業後に京都大学に進学し、アカペラグループへ入団し音楽に目覚めた。卒業後は休日を利用して音楽活動をしていた。インヒョクさんは一人で全てのパートを演奏するという。
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ヨウ・インヒョクさんは一人で全てのパートを演奏するという。最初はベース音を声で表現、次はベース音を聴きながら楽曲パートを録音。ヨウさんは自分の声だけで様々な楽器を奏でる一人アカペラミュージシャン。この日のレコーディング曲はTaylor Swift「Shake It Off」。Michael Jackson「Thriller」は95万回再生を突破。あれから10年、ヨウさんは外資系IT企業の日本支社に勤務しながら音楽活動も継続している。最近はAIを活用した楽曲アレンジをしている。
ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが2月6日に開幕する。1998年の長野オリンピックで日本はスキージャンプ・ラージヒル団体で初の金メダルを獲得した。スキージャンプ団体戦は各国4人の選手が2回ずつ飛び、飛距離とジャンプ・着地の美しさの合計点で勝敗を競う。K点を基準に1m毎にポイントが増減される。世界一美しいフォームと評された船木和喜選手、原田雅彦選手、斎藤浩哉、岡部孝信と日本は過去最強のメンバー。岡部、斎藤ともにK点超えの大ジャンプをして日本はトップに立つ。3人目は原田雅彦。スキージャンプ元日本代表の西方仁也選手が見つめていた。4年前のリレハンメルオリンピックにンで西方は原田と共に代表選手として出場していた。西方のジャンプで日本はトップになったが、最後の原田が失速してしい、日本は2位となった。西方は目標を長野での金メダルに切り替えて練習を再開したが、腰痛のため本来のジャンプができなくなった。原田選手は国際大会で活用を続けていた。長野五輪の開催年、西方は代表に選ばれなかった。しかし、テストジャンパーとして長野五輪に参加してほしいという依頼があった。テストジャンパーはジャンプ台に危険がないか確かめる、スピードが出すぎないかスタート位置を調整する。テストジャンパーが何度も飛び雪を踏み固める、多いときは20人以上集められることもある。西方はオリンピックに終止符を打つためにテストジャンパーを引き受けた。長野五輪まで1週間となった日、テストジャンパー25人が集められた。そのほとんどが五輪を目指した一流のジャンパー。オリンピック開幕直前、原田はアンダーウェアを忘れたと西方に借りにきた。五輪が開幕し、西方は複雑な思いで原田のジャンプを見守っていた。原田のミスジャンプで日本はトップから4位に後退した。ジャンプの後、西方が原田の元に行くと原田は西方のウェアを着ていた。グローブはは団体メンバーに選ばれなかった葛西紀明選手のものだった。1本目が終わった時点で日本は4位、2本目で全員が大ジャンプをすれば逆転のチャンスはある。しかし、選手が滑る2本の溝に雪が積り、スピードが出ず飛距離が伸びない状況になっていた。競技は中断に追い込まれた。
再開か中止か4人の協議員による協議が行われる。1回目のジャンプの上位4カ国の委員だった。日本委員はジャンプができるか確かめたいと食い下がった。テストジャンパーたちは過酷な挑戦に挑む。悪天候でジャンプに失敗すれば大怪我を負う可能性があり、転倒すれば競技続行は危険とみなされ、逆転のチャンスが奪われることになる。西方の中ではすでにわだかまりは消えていた。最初のジャンパーは高校生ジャンパーの梅崎慶大、完璧な着地を決めた。 司会も悪い中でテストジャンパーたちは次々と跳躍した。そこには拍手も歓声なかったが、全ては金メダルのため。24人目までジャンプを成功させた。最後のジャンパーは西方。競技再開の条件は西方の大ジャンプだった。悪条件で西方は大ジャンプをし、競技は再開された。
ホンマでっか!?TV、ラムネモンキーの番組宣伝。
教場II 後編の番組宣伝。
暫定4位の日本が金メダルを獲得するには少なくともメンバー4人全員が120m地点にあるK点を超える大ジャンプをする必要があった。日本チームの2本目のジャンプがはじまった。1人目の岡部、2人目の斎藤、3人目の原田、3人とも大ジャンプをみせ日本はトップに立った。最後の船木は125mを飛び日本はスキージャンプ団体初の金メダルを獲得した。西方はリレハンメルの銀メダルより長野の金メダルの方が感動したと話していた。原田の「俺じゃないよ、みんななんだ…」という言葉は他の3人のみならず、テストジャンパー25人への言葉でもあった。
電車内で大声で熱唱する男性。あまりの熱唱ぶりに周囲も笑顔。歌っているのはBon Joviの名曲「Livin’ On A Prayer」。男性は気持ちよく歌っているが、サビのところをスルー。ライブで観客にマイクを向けて歌わせるジョン・ボン・ジョヴィを完コピしていた。
