- 出演者
- 藤本美貴 柴田英嗣(アンタッチャブル) 山崎弘也(アンタッチャブル) 草薙和輝 山村紅葉 高橋成美
高橋成美は千葉県・松戸市出身。姉の影響で3歳からフィギュアスケートを開始。9歳で中国に移住しストイック競技人生がスタートした。
小学生の頃の成美は「上手い人はみんなが見ていないところで誰もやらないトレーニングをするもんだ」というコーチの言葉を信じ、授業中、先生が後ろを向いている時に腹筋をし続けるルールを守ったり、食堂で食券の列に並んでいる間、フィギュアのジャンプをし続けたりと謎のマイルールをたくさん自らに課していた。高橋成美は自作のすごろくで延々練習していた。
人生の分かれ道について柴田さんは「山ほどありますよ」などと話した。
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高橋成美は9歳で中国に移住しストイック競技人生がスタートした。ペアへ転向した理由は「会場で男性から『スケートやっているの?ペア?』と聞かれ、『シングル』と答えた。でも隣の女性が『ペア』と答えると男性が『すごいね、期待してるよ』と言った。それが悔しくてペアをやると決めた」だと紹介した。動機は完全なる嫉妬だった。ジュニアグランプリ ファイナルを初優勝した。2012年には世界選手権で日本ペア初の銅メダルを獲得した。2014年には木原龍一とペアを結成した。ソチ2014冬季五輪で団体ペアフリーで総合5位の成績をおさめた。2018年に惜しまれつつ現役を引退した。2020年松竹芸能に所属した。
高橋さんは小学2年生の時に出会った羽生結弦さんに衝撃を受け、以来羽生さんの行動をひたすら真似ていたという。その中でもワケがわからなかった行動について2択クイズ。1つは「羽生さまが使っている治療器具をどこも痛くないのに使って、ただただ体に電流を流した」。もう1つは「羽生さまのインタビューの言葉を全部書き起こして、一字一句同じ言葉で、インタビューに答えた」。
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高橋さんは羽生結弦さんに追いつくため、ケガをしていないのに羽生さんと同じ治療器具を使って体に電流を流していたという。高橋さんは羽生さんの真似について「真似をすることで遠い存在になりすぎず、ずっと成長できた」などと話した。もし羽生さんのインタビューの真似をしていたら、高橋さんは「憑依型」のインタビュアーになっていたとAIが予想した。
学生時代に転校を繰り返していた高橋さんは、すぐに友達を作るために相手の好きなところを会った瞬間から見つけるよう努力していたといい、好きって伝えられる時にすぐ伝えていたとのこと。
世界選手権で日本ペア初の銅メダルを獲得した高橋さんは、その直後の練習で肩を脱臼し、ボロボロだった膝と合わせてダブルで手術をすることになった。引退が脳裏によぎった高橋さんの行動が2択クイズとなって出題。1つは「引退すると決めたので、小さい頃から憧れた芸能人になるため、ボイストレーニングを始めた」。もう1つは「引退すると決めたので、ゆっくりで良いのにストイックな性格すぎてついつい必要以上にリハビリをしちゃった」。正解は「全力リハビリ」。高橋さんは幼少期からの陰で努力するクセで全力リハビリに取り組み、その結果怪我前より体が仕上がって復帰の時期が1カ月早まったという。しかも復帰したこのタイミングで木原龍一選手と出会い、後のソチ五輪で団体5位入賞を果たした。ちなみにボイトレをしていたら日本を代表するディーヴァになっていたかもしれないとAIが予想した。
高橋成美は2018年に長い競技生活を終えて普通の大学生になっていた。その後、昔から憧れてた芸能人になりたいという想いが芽生えていた。所属したい芸能事務所も明確に決まっていて、日本っぽい名前のところがいいと、「松竹芸能」に入りたいと脳内で呪文のように呟いていた。このあと、ある奇跡が舞い降りてきてきた。ある奇跡は次のどちら?。Aは「レストランで食事していたら、たまたま松竹所属の森脇健児さんと遭遇、松竹入りを直談判した」。Bは「レストランで食事していたら、たまたま松竹の社長さんと遭遇、松竹入りを直談判した」。
高橋成美の芸能界入りを決定づけたのはどっち?。A「偶然入った店に松竹芸能の森脇健児」、B「偶然入った店に松竹芸能の社長がいた」。正解は「松竹芸能の社長がいた」。松竹って自分の中でこの時、2周間前くらいからサウナで決めていたが、どう行動に移したら良いのか分からなかった。大人数の会食に出席してみたら、偶然、松竹芸能の社長がいて直談判。この運命を大事にしたかった、大勢の方がいる中なので、忘れて欲しくない、覚えてほしかったと、その日から毎日自分が食べたものを写真に撮って送っていた。
山村紅葉は500作以上のサスペンスに出演と2時間ミステリーの女王。母は推理小説家の山村美沙で、幼い頃からトリックの実験台にされていた。早稲田大在学中に女優デビューした。一度、引退して就職するなど波乱万丈だった。26歳で女優復帰してバラエティでも大活躍。家中ミステリーの本があって、母・山村美沙が色々トリックを仕掛けてくる話しなど紹介した。
山村紅葉が少女時代のある日、当時片想いをしていた男の子の家に遊びに行くことになった。ところが実はこの日、どんな服を着るかが運命の分かれ道になっていた。その時、山村紅葉が来たのはどっち?。Aは「母が勧めた、やたらとポッケが多い服」。Bは「紅葉お気に入りの、可愛いリボンがたくさんの服」。正解は、A「やたらとポッケが多い服」。ポケットの中に盗聴器が入っていて、母が全てを聴いていた。キスしそうだっていうので、男の子の家に飛んできたと話した。
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山村紅葉は母の監視下から逃れるように上京し大学生になった。大学の門をくぐると、ハンサム・塩顔・ソース顔と、あたり一面、夢のような光景が広がっていた。これまで美沙の監視が強く、人生を謳歌出来なかった紅葉は、ここである決断を下した。その決断とは?。A「初めての彼氏を作るために、大金を注ぎ込むわよ!毎月カリスマ美容師に髪を切ってもらうVIP生活」。B「初めての彼氏が出来たら、もうその人と駆け落ちよ!逃亡資金を稼ぐために、髪も自分で切る質素生活」。正解は、B「お金を貯めるため自分で髪を切る超質素な生活」。母・山村美沙は、山村紅葉が大学生になったらキラキラすると思っていたが地味な生活をしていたので、垢抜けさせるために、大学3年の春休みの時に、テレビドラマに出てみればと勧めた事がきっかけで女優デビューした。
人生の分岐点はあったか。ミキティは小室ファミリーのオーディションを受けたという。
山村紅葉さんのデビュー作はテレビ朝日の土曜ワイド劇場 山村美紗サスペンス。監督は蟹バケツというあだ名だった。とっても厳しい撮影だったという。大学時代に20本のドラマに出演。
山村紅葉さんは、男と互角に渡り合える職業に付きたいと思っていた。A.編集者、B.マルサ。正解はマルサ。脱税を調査するという。国税査察部の略称。山村さんは法人担当だった。その後、大蔵省の官僚と結婚。専業主婦に。代役を頼まれ引き受けたという。
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35歳を過ぎた頃、バリ島で撮影を行った。帰国しようとした空港で飛行機トラブル。紅葉さんはどうしたか。A.拾った新聞紙にくるまった爆睡。B.ケチャのショーを見ながらじっと待った。
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「夫が寝たあとに ママ会ライブ ~ミキティの喝!なっちゃんの涙!上半期の疲れをデトックスSP~」の告知。
バリ島でどちらを選んだのか。A.拾った新聞紙で爆睡、B.ケチャを見て待った。正解はAだとのこと。それがバラエティ番組に呼ばれるきっかけだったという。森喜朗さんから表彰を受けた。ゆうもあくらぶは70年以上の歴史を持つ。山村さんはゆうもあくらぶの理事長になった。
