渋谷龍太の音楽のルーツに迫る。両親ともにハードロックが好きだったので家ではディープ・パープルなどが流れていたがルーツは小学生の時に中島みゆきやオフコースを聴いていたという。オフコースには「こんな優しい歌あるんだと思った」とし、バンドでは柳沢亮太さんがいくつもある中から「「言葉にできない」が一番SUPER BEAVER的とじゃない?」と話し最大のリスペクトをこめてカバーしたと話した。小田さんと同じフェスで共演した際に報告した時には「いい解釈だった」と言われしびれたという。渋谷さんは歌声だけでなくライブでの熱いMCが魅力、話術の原点とは。その場で全て考えていて、それがいいと思った原体験は「新宿末廣亭」、新宿で生まれて娯楽として時間があれば通っていたという。一番感銘を受けたはなし家は立川談志さん、生では観られなかったが家でDVDBOXで観続けたという。談志さんは古典落語に現代的解釈を盛り込むだけでなく寄席のあり方を変えるなど新たなことに挑戦し続ける落語界の革命児だった。「はなし家が高座に上がり来場者を見て枕をやりながら最近の話をして話しに入っていく。ライブのMCや楽曲に近いものがあると感じてからはより意識するようになった」と話す。
