2025年7月、戦後80年の夏に富山大空襲展が開かれていた。富山大空襲展は富山大空襲の体験社の証言や絵、写真で地獄のような一夜を追体験でき、様々な世代の人々が訪れていた。富山大空襲展に訪れた佐藤らはこうした機会は増やしていってほしいのだと語った。佐藤と同じく90歳の稲垣よし子は富山大空襲展にて語り部として当時を悲劇を語り伝えた。稲垣は毎朝の運動を元気の秘訣にしている。1940年頃の総曲輪通りでは大人に子どもたちも集まって運動し、1941年12月8日には真珠湾攻撃が発生した。稲垣は当時10歳で富山大空襲にあい、一時は防空壕に避難したが、東京大空襲を体験していた姉が防空壕では危ないと忠告し、一家は急いで外に避難し、川まで逃げ飛び込み、運よく生き延びたが、父が3日後に遺体で発見されたという。8月1日、富山大空襲の犠牲者を慰霊する鎮魂の花火が打ち上げられたが、佐藤は見に来ることができず、亜希代は今後のことも含めた頼んだぞと言われた気がしたなどと明かした。。
