山本が高校生のころ、地元・新潟にお笑い集団「NAMARA」が立ち上がる。そのステージで前座を務め、メインで出演していたのがネプチューンや海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)。冬至は組ともネタ中も歓声がやまないほどの人気。山本は他の出演者に比べおとなしい存在でウケることも少なかった。
山本と関が出会ったのは98年。当時流行していたバラエティ番組は「進ぬ!電波少年」「笑う犬シリーズ」など。2人は東京アナウンス学院のお笑いコースに進学。コンビ結成の際に余ったのがこの2人だった。アピールタイムで関がやったのは、壁に向かって壁を触るパントマイム。観客の投票で決まる「爆笑オンエアバトル」では史上2組目の満点を獲得。当時はウケるよりも嫌われないネタを意識していた。05年、M-1グランプリで決勝進出。このころ吉本が強く肩身が狭かったが、M-1後に同じメンバーで全国ツアーをやった際にはチュートリアルだけが優しくしてくれた。
タイムマシーン3号が初のM-1グランプリ決勝進出を果たした2005年。このころ流行していたバラエティ番組は「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」「笑いの金メダル」などのネタ番組。タイムマシーン3号にとっては10年のスランプ。客が審査する「オンエアバトル」では評価されるもm芸人が審査するM-1グランプリではうまくいかず。当時やっていたのは関の体型を活かしたデブネタ。渡辺正行から「デブネタ1本でやるのは厳しい」と指摘され、「エンタの神様」などで流行していた短いネタもうまくできず。
タイムマシーン3号は2015年ごろ、太田プロに移籍。新鮮な気持ちになれ、初めて出来た先輩であるマシンガンズ西堀から「お客さんにウケるのがお笑い」とアドバイスされ方向性が定まりM-1グランプリ決勝進出も果たした。恩人は太田プロの有吉弘行。ひな壇でウケる環境を作ってくれた。大ブレイクまで苦節26年。関の妻からの要望は「ちょっと広い家が欲しい」。
山本と関が出会ったのは98年。当時流行していたバラエティ番組は「進ぬ!電波少年」「笑う犬シリーズ」など。2人は東京アナウンス学院のお笑いコースに進学。コンビ結成の際に余ったのがこの2人だった。アピールタイムで関がやったのは、壁に向かって壁を触るパントマイム。観客の投票で決まる「爆笑オンエアバトル」では史上2組目の満点を獲得。当時はウケるよりも嫌われないネタを意識していた。05年、M-1グランプリで決勝進出。このころ吉本が強く肩身が狭かったが、M-1後に同じメンバーで全国ツアーをやった際にはチュートリアルだけが優しくしてくれた。
タイムマシーン3号が初のM-1グランプリ決勝進出を果たした2005年。このころ流行していたバラエティ番組は「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」「笑いの金メダル」などのネタ番組。タイムマシーン3号にとっては10年のスランプ。客が審査する「オンエアバトル」では評価されるもm芸人が審査するM-1グランプリではうまくいかず。当時やっていたのは関の体型を活かしたデブネタ。渡辺正行から「デブネタ1本でやるのは厳しい」と指摘され、「エンタの神様」などで流行していた短いネタもうまくできず。
タイムマシーン3号は2015年ごろ、太田プロに移籍。新鮮な気持ちになれ、初めて出来た先輩であるマシンガンズ西堀から「お客さんにウケるのがお笑い」とアドバイスされ方向性が定まりM-1グランプリ決勝進出も果たした。恩人は太田プロの有吉弘行。ひな壇でウケる環境を作ってくれた。大ブレイクまで苦節26年。関の妻からの要望は「ちょっと広い家が欲しい」。
