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神奈川・葉山で去年10月、上皇ご夫妻が静養された。国民1人1人との触れ合いを大切にされる変わらない姿がある。度重なる自然災害に直面した平成の30年間。上皇さまは全国を巡り国民に寄り添われてきた。上皇さまにはあまり知られていない別の顔がある。それはハゼの研究者。ハゼの仲間は日本各地の海や川に600種類以上が生息する魚類最大のグループの1つ。上皇さまはそんなハゼの新種を10種発表し、34もの学術論文をまとめてこられた。新しいハゼの分類を見出されるなどその業績は世界でも高く評価されている。上皇さまが今も研究を続けらてている皇居の一室。ハゼとの日々から見える家族のエピソード。上皇さまゆかりの貴重なハゼの記録にも挑んだ。ハゼを見つめていくとその奥に見える世界があるという。ハゼ研究者としての上皇さまの素顔に迫る。
高層ビルに囲まれた東京の中心・皇居。この中に上皇さまが92歳になった今でも通われる場所が「生物学研究所」。かつて海の生物などを研究していた昭和天皇のために建てられ、上皇さまへと受け継がれた。上皇さまが研究されている部屋にお邪魔した。多摩川や神奈川県・葉山近郊で獲れたハゼが飼育されている。どことなく愛嬌がある顔なのはハゼの仲間・チチブ。どれも似ているが異なる複数の種がいるという。上皇さまは39年前、チチブの仲間が3種に分けられることを明らかにされた。いま最新の知見を踏まえより詳しく調査されている。
皇太子時代・29歳のときに初めて論文を発表された上皇さま。その出発点は何だったのか。まずはハゼとの出会いから。上皇さまは昭和8年12月23日に誕生され、日本中がお祭りのように沸き立った。幼い頃から海辺でよく過ごされた上皇さま。祖母・貞明皇后から水槽をプレゼントされ、魚の飼育にも挑戦された。側近によると葉山近くの海岸でハゼを初めて採集されたという。上皇さまとハゼとの出会いはこうして始まった。学習院高等科を卒業した後、上皇さまは大学の政経学部に進まれる。同時に皇太子としての公務にもあたられた。皇族として戦後初となる外国訪問も。昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式に出席された。各国の首脳と会談するなど、約6か月かけて欧米15か国を巡られた。そうした中、公務の合間を縫って始められたのがハゼの研究。側近によると父・昭和天皇を傍で支える研究者から手ほどきを受けながら、最初は趣味のように始められたという。上皇さまはなぜハゼを選ばれたのか。皇太子時代から研究に協力し、現在最も間近で支えている宮内庁・御用掛で魚類学者の林さんに話を聞いた。林さんは「昭和天皇が海の生物の研究をやっておられたので、やはり(上皇さまは)海の生き物に関心を持って、その中でも自分でとれるハゼには非常に興味を持たれて、そういうのも陛下が研究の材料にされた、ハゼに興味を持たれた理由のひとつになっているのではないか」と話す。身近とは言え、当時ハゼには未知の種類が多くあった。上皇さまは海へ来ると自ら採集に出かけられたという。林さんは一緒にハゼを探したときのことについて「胴付きではなく長いブーツを履かれていた。やっている間にどんどん沖の方へ進むわけです。(服が)濡れる直前まで行って、最後のひと網をやった時に(水が)入った。それでもその時とれた。すぐに岸に上がって『キヌバリですね』ってたいへん喜ばれてお帰りになった」と語る。ハゼは小さく、持ち帰って標本にすれば公務の間に研究できたこともハゼを選ばれた理由の1つだったという。上皇さまは次第にハゼの研究に打ち込まれていった。
長い間上皇さまを魅了してきたハゼとはどんな魚なのか。大都会・東京でも身近なハゼの代表格・マハゼが見られる。南の海には驚くほど個性的なハゼたちがいる。例えば背びれがピンと伸びた「ハタタテハゼ」、鮮やかな文様の「チゴベニハゼ」、そして丸い背びれが特徴の「ニチリンダテハゼ」、炎のような背びれを持つ「ホムラハゼ」など、色や形・行動も多彩。九州・有明海の干潟から出てきたのはムツゴロウ。魚なのに水から出てヒレで歩いている。ジャンプなどをして求愛や縄張りのアピールをする。日本屈指の清流で知られる紀伊半島・古座川で急流に抗って進むのは、岩についた苔を食べるボウズハゼ。なんと滝登りをする。お腹のヒレが吸盤となり、急な傾斜でも川の上流に登っていける。ハゼの仲間は日本だけで600種以上が生息する驚くほど多様な魚。
ハゼを題材に上皇さまが研究されてきたのは分類学。新種を見つけたり、種やグループごとの関係性を調べたりする学問。発表された学術論文は34編。中でも上皇さまが34歳のときに出された論文は分類学界に大きな影響を与えたという。魚類分類学の瀬能博士は当時について「画期的だとしか言いようがなかった。ハゼってこういうところで種ごとに分けることもできるんだっていう」と話す。普通種を判別するのに使われるのは体の模様やヒレの形、中にある骨の本数などの特徴。しかしそれだけでは区別がつかない事がある。上皇さまが目を向けられたのは水流を感じる頭部の感覚器官。その並びを線で結び模様のようにして見比べると系統が近く見分けが困難だとされてきた種でもはっきり判別できることを日本で初めて明らかにされた。国際的な学術会議では海外の研究者と活発な議論を交わされた。真実を探求する化学の世界に一研究者として挑んでこられた。「分類学は私たちの住む環境を詳しく知ることにもつながる」と瀬能博士は語る。生き物を分類する上で「名前」は大切な役割を果たす。上皇さまは日本語名のなかったハゼの命名にも取り組んでこられた。その数は約80にものぼる。中にはご家族と一緒につけられたものもあるという。そうして命名されたハゼを紹介。「ギンガハゼ」は側近などによると上皇后さまの発案だという。42年前、図鑑が発表されるのに合わせ名前を付けられた。「青い点が宇宙に浮かぶ銀河のよう」というところから。「シマオリハゼ」は長女・黒田清子さんの発案で、輝く模様が繊細な織物のように見える。水深50メートル近い深い海でダイバーから大人気の「アケボノハゼ」の名付け親は上皇后さま。上皇さまはご家族と一緒にハゼと向き合ってこられた。京都大学名誉教授・中坊博士は「上皇さまの研究の緻密さをご家族も理解されていた」と話す。中坊博士は26年前、上皇ご夫妻が京都を訪問されたときのことを鮮明に記憶しているという。美智子さまが当時「推理小説のようでしょ」と言った論文が、上皇さまが発表された「ウロハゼの学名について」。19世紀にオランダのシーボルトの「日本動物誌」とイギリスのサルファー号「航海動物誌」がそれぞれ新種発表したウロハゼ。長い間、どちらが先に出版したかの論争が続いていた。シーボルトの本には問題があった。8年の間16回に分けて出され、その後1冊にまとめられたため、ウロハゼの発表日が不明だった。上皇さまが注目されたのはインクの裏写りだった。日付がわかるページの裏面を特殊撮影し、文字を読み解かれた。これが手がかりとなり、シーボルトの本が先立ったことが明らかになった。わずか20日の差だった。この論の進め方を当時の美智子さまは「推理小説のようです」とおっしゃった。
上皇さまは公務から退き、いまは週3日ほどを研究に充てられている。水槽の部屋に続いて側近・林さんが研究所を案内してくれた。ここでは映像や資料からハゼの仲間の特徴や生態の違いを詳しく調べられているという。その奥が上皇さまが実際にハゼを触られる部屋。真ん中にあるのは顕微鏡。骨や感覚器官などを詳しく調べるのに使われる。そして国内外から集められた多くのハゼの標本が並んでいた。この標本を使い、行っている研究の一部を林さんが実践して見せてくれた。1つの論文で調べられたハゼは数百匹にのぼる。その1匹1匹の特徴・感覚器官を丁寧に記録していかれた。上皇さまが題材に選ばれるハゼには「身近で一見地味なハゼ」という特徴がある。あまり人が目を向けないハゼを好まれるという。
天皇としての30年、公務は多忙を極めた。天皇は内閣総理大臣の任命や法律の交付など国事行為を1年で約1,000件行う。そして日本の国の象徴として外国の元首などとの交流を深めてこられた。さらに被災地へ何度も足を運び、国民に寄り添われた。上皇さまは合間を縫って研究も少しずつ進められた。しかし公務に影響が出ないように徹底されていたという。そう語るのは長年の側近・目黒さん。侍従長を長年勤められた渡邉允さんも「この姿勢を絶対に変えようとされない陛下のけじめでした」と書き残している。
天皇として多忙を極められる中、ハゼの生態に触れられるよう手助けした人が沖縄・西表島に住む水中カメラマンの矢野さん。矢野さんは平成16年にハゼの図鑑を出版した後、皇居に招かれるようになった。矢野さんはこれまでに述べ100を超えるハゼの暮らしぶりを撮影し、上皇様に紹介してきた。実際にご覧になった映像には産卵や繁殖などの生態が詳しく映し出されている。矢野さんによると上皇さまは毎回のように環境のことを質問されたという。沖縄県・西表島は様々な環境に多様なハゼが暮らすハゼの宝庫。この海で上皇さまが新種発表されたハゼを矢野さんと探しに行った。サンゴあふれる一帯を抜け、向かったのは濁りの多い皮の出口付近。そのハゼは上皇さまが49歳のときに新種発表された「クロオビハゼ」。クロオビハゼは穴に身を隠しながら暮らしている。穴の中をよく見ると、砂が押し出されてエビが現れた。1つの穴にハゼとエビが同居している。エビは穴を掘る係、そこにハゼは居候する。ハゼはエビに危険を伝えるガードマンの役割を果たしている。突然ハゼが穴に逃げた。するとそこに巨大なエイが現れた。クロオビハゼはエビと支え合いながら暮らしていた。上皇さまが新種発表されたハゼもう1種を探す。木々に囲まれた川の河口付近にいた「ミツボシゴマハゼ」は上皇さまが41歳のときに発表された。光が当たると金色の鱗が輝く。サイズはたった1.5センチしか無い。警戒心が弱い理由は、川の河口付近で塩分の変化が激しい過酷な環境なため、天敵となる魚が少ないから。
ハゼの住む環境や多様性にも興味を抱かれてきたという上皇さま。林さんは60年近くそんな上皇様の研究に協力してきた。ハゼを通すとその先に見えてくるものがあるそうで、「ハゼに見られる多様性が日本の生物多様性に非常によく似ている。つまりハゼがそれだけ種類が多いので、日本の生物多様性をハゼに置き換えるというとそういう言葉も使える。いままで書かれた論文を調べてみれば、ハゼの多様性は分布域がこれだけ違っていて種もこれだけいて、とるエサも違い、生活の様子も違うということになれば、これがいま日本で生物多様性と言っているものに該当するのではないか」と語る。長年にわたる功績は世界からも称賛を集めてきた。平成10年には科学の進歩に貢献した国家元首などに送られるイギリスのチャールズ2世メダルを受賞された。その目はあとに続く研究者にも向けられている。9年前、国際親善のためベトナム・ハノイを訪問した際、博物館に立ち寄られた。ここに飾られていたのは以前上皇さまが寄贈されたハゼの標本だった。上皇さまの研究で新種として発表された後、採集場所のベトナムに戻された。ハゼの研究がベトナムでも一層進むことが期待されている。いまも研究者として歩まれている上皇さま。ハゼとの日々について「振り返ってみると何日も何日も顕微鏡を覗き込み、ついに次々と頭部の感覚器官の配列の特徴を特定できたときの喜びを思い出します」「尽きることのない未知の研究領域のあるハゼ類を研究の対象としたことは私にとって非常に幸せなことであったと思います」と言葉にされている。
エンディング映像が流れた。
